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黒川光博(とらや)社長のプロフィールや経歴【マツコの知らない御三家和菓子の世界】 [テレビ]

2018年1月9日(火)放送
「マツコの知らない御三家和菓子の世界」として
「マツコの知らない世界」にあの
とらやの社長 黒川光博社長が出演!
黒川光博 (2).jpg

案内役は美術ライター・エディターとして活躍する「和菓子こそ世界で最も美しい」と信じる女性、橋本麻里さん。 そんな橋本さんが御三家として選んだのが、創業およそ500年を誇る「虎屋」、384年の「両口屋是清」、214年の「鶴屋?信」の3店。 それぞれが持つ味の特徴をわかりやすく、さらには一味違った楽しみ方をマツコにレクチャー。 そして注目すべきは、今までバラエティ番組には出ることのなかった「虎屋」が500年の禁断を打ち破り、その秘密を大公開する!

テレビ番組で露出をすることがなかった、
あの和菓子老舗とらやの社長 黒川光博氏は
マツコ・デラックスさんとどのように
番組を進めて行くのでしょうか。

今回は黒川光博社長のプロフィール、
経歴や学歴について紹介していきます。

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黒川光博社長のプロフィール、経歴や学歴


老舗和菓子屋『虎屋』の創業は500年前の室町時代。

黒川光博.png

そこまでの老舗となると社長の重圧というのは、
人並外れたものであるのではないでしょうか。

老舗和菓子屋『虎屋』現社長の黒川光博さんの
プロフィール、経歴や学歴はどのようなものなのか?

■黒川光博社長 プロフィール

黒川光博.jpg

名前:黒川光博

誕生:1943年(昭和18年)、現在74歳

出身:東京都

大学:学習院大学

職業:虎屋(とらや)17代当主 代表取締役社長
全国和菓子協会名誉会長、日本専門店協会顧問

■黒川光博社長の学歴・経歴

黒川光博社長は学習院大学法学部を卒業後、
富士銀行(現みずほ銀行)に入行。

富士銀行で数年間勤務した後、
1969年に虎屋(とらや)に入社。

黒川光博社長自らの思いで銀行に入行したのかと
思いきやとらやには古くからのしきたりがあるそうです。

それは世襲であれど、一代に一人しか入社しないという
しきたりがあったのです。

そのためとらやでは、同じ代に親類や家族などは入社せず、
黒川光博社長も例外ではなかったそうです。

もちろん、現在も黒川光博社長のほかは
息子さんが勤務しているのみ。

同族経営すべてを否定するワケではないですが、
同族だけの偏った考えにもならず、
色々な考えを取り入れる考え方は素晴らしいと思います。

500年も続く経営の要因の一つと
言えるのではないでしょうか。

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黒川光博社長は虎屋に入社後5年間、現場勤務をし、
和菓子づくりの基礎から学び
1991年に虎屋17代当主、代表取締役社長に就任。

500年も続く老舗の味を守るともなれば
新しい味を追求することというのは勇気のいることですが、
黒川光博社長は伝統的な虎屋の和菓子と
西洋のスィーツを融合させるという攻めのスタイルです。

「それよりも大切なのは、過去でも未来でもなく、『今』。 すべては今この時代のお客様においしいと 思っていただける菓子をつくり、 喜んでいただくために、今なすべきことを 実践していくことしかない」

2003年には若い世代をターゲットにし、
六本木ヒルズ内に「TORAYA CAFE」をオープン。

TORAYA CAFE.jpg

あずきのあんをメインに洋菓子の素材である
チョコレート、ココアなどを取り入れ
新しい和菓子の展開を行い話題となります。

そして4年後の2007年に「TORAYA CAFE」から
900メートルほどの場所に
東京ミッドタウン店をオープン。

東京ミッドタウン店.jpg

東京ミッドタウン店は伝統的なとらやの羊かんなどの和菓子をメインに、
「和菓子を取り巻く日本文化」という和菓子のルーツを探ることのできるギャラリーも設け、和菓子に興味を持ってもらえるよう配慮がされています。

和菓子と洋菓子との融合で興味を惹き、
そして伝統的な味に親しんでもらう。

「故きを温ねて新しきを知る」

このような考え方のもと、
しっかりと伝統を受け継ぎつつ
新しい味を追求し、
和菓子から遠ざかる若者たちの
囲い込みにも成功しています。

マツコ・デラックスさんと
黒川光博社長のトークは必見であり、
老舗和菓子屋とらや当主として
和菓子について語られるのでしょうか。




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